ひとり出版社が増えている。
出版不況と言われて久しく、既存の出版社が減少の一途をたどる中、ひとり出版社の数は右肩上がり。この5年で200社以上の増加と聞く。今年1月には東京で「独立出版社エキスポ」も開催された。
書籍系デジタルメディア「日経BOOKプラス」で2025年5月から始まったインタビューシリーズ「探訪!ひとり出版社」で目に留まるのは、「バンド活動のような本づくり」「“無名の人”の声を届ける本づくり」といったフレーズだ。市場性を顧みないわけではないけれど、経済合理性よりも優先させたいものがある。ひそかに譲れぬ思いが見え隠れして共感を誘う。
『野菜師』の版元もひとり出版社だ。「アネモスBOOKS」のレーベルを掲げる浅井裕子さん。食の総合出版社として定評ある柴田書店で月刊誌・ムック・書籍などの編集に携わった後、2018年に独立した。
初リリースの本書はインディペンデントならではの生きの良さと意気の良さに満ちる。簡潔な書名。扱っている素材の鮮度。「めんどくさいジジイ」という主人公のキャラもさることながら、忖度のない直截的な文章が書き手と対象との間に息づく信頼を映し出す。著者名の東郷まどかは実は浅井さん本人である。
野菜師とは、高知市潮江地区のカリスマ農家、「潮江旬菜」熊澤秀治さんを指す。葉野菜やトウモロコシを生食用に育てて市場に投じ、生食ブームのきっかけを作った人物。エポックメーカーと言っていい。
加熱が常識だった葉野菜をサラダにするのも、生食のトウモロコシが店頭に並ぶのもいまや当たり前の光景だが、どのような過程を経てそうなったかを、多くの消費者は知らない。野菜は老若男女が日々口にする食材であるにもかかわらず、生活者の手元に届く情報は少ない。食べ手の側も産地・生産者・品種がそろえば情報が足りていると思い込む現実がある。本書は、熊澤さんがどのようにして自ら納得する野菜を作り上げていくのかを克明に追う。野菜の味はいかにして作られるかを描き出す。
「熊澤は技術の人である。農産物を取り巻く世界を自動車のブランディングを例に理解していた。技術によって品質が成り立っているものは、技術の高さを知らしめることが最強のブランディングである。」との一文が象徴的だ。農家を継ぐ前、旧車のレストアや自作自動車の賞レース、バイクのフェスを手掛けた彼にとって、「農業とエンジニアリングは似ている」らしい。
それが生半可な技術でないことは、たとえば「アミノ酸マジック」「ドーピング」といった彼独特の表現が物語る。「アミノ酸マジック」とは、土壌に微生物資材とアミノ酸資材を合わせて投入して株の成長を促進する術。「ドーピング」とは、液肥、コロニー、アミノ酸資材、カルシウム資材、糖蜜を混ぜて希釈した高機能肥料を株元に施用後、水かけし、翌日、濃度1000倍のALA希釈液を葉面散布するというもの。これだけ読むとやたら人為的な印象を抱きかねないが、狙いは根圏(植物の根とその周囲に集まる微生物の活動領域を含む土壌の範囲)のコントロール、すなわち野菜の成長や風味の発現を助ける微生物と手を組むこと。と聞けば、腑に落ちる。
技術と同時に言及しておかなければならないのが、途絶えていた「潮江菜(しおえな)」の復活だろう。高知出身の作家、宮尾登美子のエッセイに「うしおえかぶ」の文字を見いだした熊澤氏は、潮江に生まれ育った者として、その再生を目指す。2014年、高知が生んだ植物学者・牧野富太郎の弟子の家族から託された50種を超える種子コレクションの中に奇しくも「潮江菜(うしおえかぶと同種)」が含まれていたことで復活はかなう。農家仲間、研究者、行政、流通有志と「チームマキノ」を結成し、「牧野野菜」と銘打って栽培に挑むのである。
栽培に限った話ではない。ブランディングにおいても、エポックメーカーぶりはいかんなく発揮される。伊勢丹のバイヤーと組んで、上顧客向け商談会「丹青会」で牧野野菜をデビューさせたり、潮江東小学校の児童に食品フロア青果コーナーでの販売という食育体験をさせるといった仕掛けの鮮やかさたるや。
それにしても「野菜師」とはよくぞ言ったものだ。絵師、仏師同様、農業者も高度な専門技術によってものする人なのだと、読み進めるほどに得心した。
君島佐和子 きみじま さわこ
フードジャーナリスト。2005年に料理通信社を立ち上げ、06年、国内外の食の最前の情報を独自の視点で提示するクリエイティブフードマガジン『料理通信』を創刊。編集長を経て17年7月からは編集主幹を務めた(20年末で休刊)。辻静雄食文化賞専門技術部門選考委員。立命館大学食マネジメント学部で「食とジャーナリズム」の講義を担当。著書に『外食2.0』(朝日出版社)。
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※『Nile’s NILE』2026年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

