とんかつが好きで、これまでに1トン近く食べてきた。
だからこそ、とんかつ屋を開業しようと決めたとき、「美味しいとんかつとは何か」という問いに対する自分なりの答えは、驚くほどすっと定まった。それはこれまでの経験と嗜好が凝縮された、極めて個人的な定義である。
豚肉をいかに美味しく食べるか。そのためにとんかつはどうあるべきか。
その一点に尽きる。
衣は薄いほど肉の味を強調できる。ロースはある程度小さなブロックから切り出すことで厚みを持たせる。厚みのある肉ほど、豚肉本来の味わいをより深く堪能できる。胡椒は使わず、塩も下味としてではなく、浸透圧によって断面のジューシーさを引き出す程度にとどめる。さらに、ご飯、味噌汁、お漬物、キャベツといった脇役も、それぞれが主張するのではなく、あくまで豚肉の味を最大限に引き出すための存在であるべきだと考えた。
2026年5月現在、私たちはのべ48の銘柄豚をとんかつとして提供している。赤身の旨みの強さ、香り、脂の溶け方や余韻。それぞれの個性は想像以上に大きい。共通して言えるのは、とんかつに適した豚肉とは、赤身の味が濃く、適度にサシが入り、脂身にしっかりとした質と風味があるものである、ということだ。
ところが、である。
ある生産者の方から、「とんかつに向いた豚を作ろうとすると、市場での評価が下がる」という話を聞いた。美味しさを追求すると評価が下がる——耳を疑った。
背景には、牛と豚の評価構造の違いがある。牛肉にはA5やA4といった肉質を評価する明確な基準が存在する。一方で豚肉にも「極上・上・中・並・等外」といった区分はあるが、それは枝肉重量や背脂の厚さ、外観など、主に流通や加工のしやすさを軸としたものであり、「味」を精密に測る仕組みにはなっていない。
この違いは歴史的な役割に由来する。牛肉が嗜好品として価値を高めてきたのに対し、豚肉は国民の重要なタンパク源として、安定供給と均一性が求められてきた。合理的に、効率よく、多くの人に届ける。その設計思想が現在の評価軸にも反映されている。
さらに、輸入豚肉との競争もあり、国内生産者が生産性や効率性を重視するのは当然の流れである。結果として、多くの豚肉においては、生産性や均一性が優先され、味は二の次、三の次にされやすい構造がある。
しかし、その構造があるからこそ、別の動きも生まれている。大規模生産と同じ土俵で戦わない、あるいは戦えない中小の生産者たちは、味そのものに価値を見出し、個性のある豚肉づくりに取り組み始めている。
ここ数年、東京市場でも変化が見られる。肉質を見極めて高値をつける問屋が現れ、それを求める飲食店が増え、さらにそれを体験した消費者が価値を理解し始めている。規格では測りきれない価値が、ようやく流通の中で可視化され始めているのだ。だからこそ我々は、美味しい豚肉を求めるお客様に、その違いを体験として届ける場でありたいと考えている。これまでポジショニングマップなどで可視化を試みてきたが、主観の域を出ない部分もある。今後は脂の性質や旨味といった要素の数値化にも取り組みながら、その価値をより立体的に伝えていきたい。
ワインやコーヒー、日本酒といった分野では、香りや味わい、産地や製法といった多面的な評価軸が整備されることで、それまで見えにくかった価値が可視化され、市場全体の活性化へとつながってきた。豚肉においても同様に、これまで言語化されてこなかった価値を分解し、可視化していくことが、結果として生産者、流通、そして消費者すべてにとって新たな可能性を開くと考えている。そうした視点も取り入れながら、伝え方そのものも進化させていきたい。
そして、そのポテンシャルを最大限に引き出すためには、豚肉ごとに最適な火入れが必要になる。とんかつは単なる揚げ物ではない。衣で水分を閉じ込めながら火を通す「蒸し料理」であるという視点が重要になる。
この火入れについては、次回詳しく触れたい。
眞杉大介 ますぎ・だいすけ
学生時代から全国のとんかつを食べ歩き、事業再生コンサルタントからとんかつ職人へと転身した異色の経歴を持つとんかつマニア。2021年11月「tonkatsu.jp 表参道」をオープンし、プロデューサーを務める。全国各地の養豚家を訪ねて厳選した銘柄豚のラインアップと、その個性を引き出す職人技は高い評価を得ている。現在は食文化としてのとんかつを次世代につなぐため、精力的に活動中。

