かつて、地球は平らで宇宙に浮いており、大西洋の果ては奈落に続くと信じられた。一方、仏教では世界の中心には、巨大な聖なる山がそびえるとされた。7000〜8000m級の山峰が100以上連なる山脈を見上げて暮らす人々に、それは日々の実感でもあっただろう。やがて人々はそれを古代サンスクリット語で「雪の住か」を意味する「ヒマーラヤ」と呼ぶようになる。
今でも、我々はしばしばヒマラヤ山脈を世界の屋根、と表現する。天と地の境界を作る白銀の山峰を望みながら、高山の厳しい生活を営む人々にとって、山岳信仰をも取り込んだチベット仏教は大きなよりどころとなってきたに違いない。それを誇るかのように、切り立った山肌に多くの寺院が築かれている。
寺院に導くように四方には、仏法が風に乗って拡散されることを願って、色鮮やかなタルチョー(風馬旗)が山間の風にはためく。天、空、火、水、地を表す5色は時として色褪せ破れているが、吹きすさぶ風に不可思議なマントラの旋律を孕んで、険しい道をゆく者の耳に届く。
それに誘われるように寺院に着くと、無数のバターランプの明かりに迎えられる。ヤクのバターを使ったランプは独特の匂いを放ち、あたりを蜜色に照らす。邪心を払うとされるその明かりは、死者を天に導くものでもあるという。空気が薄いのと、慣れない山登りのせいで少し朦朧とした旅人には、そこが天なのか地なのか定かでなくなっている。
ヒマラヤの山岳地帯で人が定住するのは標高2000m台。3000m近くなると、冬は低地へ、夏は高地へと放牧しながら移動する。西ブータンでは夏の家と冬の家を持つ牧畜民が多い。ティンプーが通年首都になる半世紀ほど前までは、冬になると低地のプナカに首都が遷移されていたという。
伝統的なブータン様式の農家は、細工を施した木材と漆喰の壁で強固に造られた、2〜3階建ての堂々としたものが多い。チベット様式と類似しているが、切り妻屋根が特徴だ。農家の家造りは近所で協力し、何年もかけて装飾などを施していく。
通常1階に家畜、2階以上に3世代にわたる家族が住む。近年は衛生面から家畜を別棟にし、水道や電気が徐々に普及するようになった。簡単なトイレも備えるようになったが、浴室に浴槽はない。
家の中で一番立派な場所は仏間で、絢爛な仏壇が壁一面を飾るが、そこに祭られているのは仏様で、先祖の位牌はない。輪廻転生が信じられているため、祖先を拝む風習がないのだ。仏間は朝夕の祈りの場で、家族のくつろぎの場とは別になっている。
仏間や居間には、極彩色の曼陀羅が飾られていることが多い。仏教的宇宙観を描いたそれは、中心には聖なる山か、あるいは悟りを開いた仏様(如来)が鎮座している。精巧なものは、見入っていると不可思議な立体感を生み出す。時としてこの曼陀羅の隣に、テレビが映し出す全く異質の日常が共存している。
インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突で形成されたヒマラヤ山脈。インド亜大陸は今も北上し、ヒマラヤ山脈は成長を続け、地球で最も高い14の8000m超の山峰が連なる。その南東部に位置するブータンは国土の大半がヒマラヤ山中にある。
ヒマラヤ山脈は巨大な壁として多くの侵略を退け、孤高の村落では独自の生活と文化が育まれ、守られてきた。かつては多くの小国があったが、近年まで存続したチベット王国、シッキム王国はそれぞれ中国、インドに併合。21世紀に入りネパール王国は民主共和国となった。
現在は、九州ほどの面積、人口約75万人のブータン王国があるのみだ。この小国の名は、サンスクリット語で「高地」を意味する「ブーウッタン」を語源としているという。が、ブータンの人々は、自国を「ドゥクパの国」と称する。これは国教の宗派の名称に由来するとともに、国旗に描かれた雷龍をも意味する。
13世紀前半にチベット仏教のドゥク派が定着したとされるブータンは、長く僧侶の代表である仏法王と住民の代表である執政王とによって政治が営まれてきた。現在も仏法王は国王と同等の力を持つ。
現国王は1907年に成立したワンチュク王朝第5代国王だ。2006年に即位した若い国王と王妃が来日した11年には、美しい民族衣装をまとったあでやかな姿が話題を集めた。オックスフォード大学を卒業した41歳の国王は堅実な国策を進めているが、国王は65歳定年制となっている。ちなみに「ブータンはGNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福量)を目指す」と発案したのは先代国王だ。
そうしたブータンの政治経済の中心地となるのが、首都ティンプー。山間に広がる標高2300m余、人口約10万人の都市だ。もともとヒマラヤの村々はその地理的条件などから、都市に拡大するには制限があり、それが独自の風土と風情を守ってきた。ティンプーに自動車道路が開通したのも1960年代であった。
国際空港はティンプーより標高が少し低い隣町パロに位置する。5000m級の山並みに囲まれた河畔に造られており、有視界飛行のみで2000mの滑走路の離着陸はベテランパイロットでないと難しい。ちなみに現王妃の父君もその一人だったとか。
2008年には、このパロ国際空港からティンプーまで高速道路が開通したため、1時間余りの道のりとなった。山岳でヤクを追う農村地帯を抜けて、ブータン随一の都市に到達する。74年に初めて旅行者を受け入れて以来、98年に空港ができるまで、ブータンに入国するには1日かけて事故の多い山間の険しい陸路を進むしかなかった。
ティンプー川と並行して1kmに満たない中心街が南北に走る。時計塔広場をランドマークに、ブータン様式の商店が並び、通りは民族衣装の人々と、携帯電話を片手にしたTシャツとジーンズの若者が混在。郊外ではブータン様式の中層集合住宅の建設が進行している。
ブータンでは半農半牧の農家が多く、標高4000m以上で飼育するウシ科のヤクが主たる家畜だ。使役はもちろん、乳製品、食肉を得、毛は織物に、糞は燃料に、全て活用する。バターランプしかり、水不足の農家ではヤクの油で体を拭く習慣も。
水葬の風習もあるブータンでは魚を食べず、肉類はヤクの肉を乾燥させたものが好まれる。これをチーズやバター、そして、唐辛子や山椒と煮込んだものが代表的な料理だ。唐辛子は生のまま、あるいは干したりゆでしたり、必ず食卓に並ぶ。ブータンの料理はとりわけ辛い。
ワラビなどの山菜や松茸などのキノコ類も豊富だ。低地では米やトウモロコシ、麦などを生産しているが、野菜や果物も作られるようになった。殺生を避けるため農薬を嫌い、生産量が伸びないようだが、オーガニック食材を生み出している。
が、総じてブータンの料理は調理法も食材も限られている。地ビールや国産ウイスキーも生産しているが、庶民に愛飲されているどぶろくや焼酎に類似したものは、レストランでは提供されない。野菜の少ない高地にあって、精進料理は期待できない。ヤクを食するのは限られた食材で栄養素を取るためという。
旅行者が必ず口にするのはバター茶だ。煮出した茶葉にヤクのミルクとバター、岩塩を加えたもの。高山病に効くと勧められたが、一層吐き気が増した。が、飲んだ後に口に付いた脂が、乾燥した山風でひび割れた唇を癒やしてくれる効能が得られた。
町にいても山にいても、至るところに寺や僧院があり、随所であかね色の僧衣をまとった僧侶を見かける。一人でいる僧は少なく、大抵連れ立っている。東南アジアの僧侶のように、冗談を言ってふざけたり、携帯電話で話す姿は見られない。チベット仏教の僧は一時的に僧侶をしたり、家庭を持つことはない。
とりわけ、ドゥク派の仏門は厳しいようだ。彼らは一生独身で僧院に暮らす。子どもを仏門に捧げると徳を積むとされ、かつては口べらしの策でもあったようだ。また、貧しくとも法曹界で出世することで、高い地位を得ることもできる。
一方、急激な西欧文化の波に仏教に救いを求め、熱心に仏門を学ぶ若者も。女性の地位が認められてきた昨今は、仏法から自分の人生を見いだそうとする尼僧も少なくないとか。若い僧侶は減っているが、尼僧は増えているそうだ。また僧侶はどこにでもいるが、黄色が混じる僧衣を着た高僧はあまり見かけない。寺から出ることが少ないのだろう。だが、民家や商店には国王と並んで、高僧の写真がしばしば飾られている。
旅行者を驚かすのは、町や村にあふれる男性器の絵やシンボルだ。悪霊を追い払うとされ、性道徳がおおらかな風土ともあいまってごく自然に受け入れられてきたようだ。若い僧侶には年に何度か女性に触れる機会のある無礼講が許されるそうだ。月の満ち欠けによるブータン暦の時間に暮らす僧侶たちは、異なる時間を生きているよう。
ブータンは南部の一部を除き、9割以上がチベット仏教徒だ。その多くが仏教の教えに根付いた日常生活を営む。中でも広く信じられているのが、この世の生物は人を含め、何度も生まれ変わるという、輪廻転生だ。そのため、ブータンの人々は葬式や冠婚葬祭は行わないか、極めて簡素だ。墓も設けないし、格段長寿が祝われることもない。虫や動物の殺生も嫌う。大切な人がハエや猫になって身近にいるかもしれないのだ。祖先を祭らないのもこのためだろう。
チベット仏教の輪廻は現世の行いが、転生によって報われたり、罰せられたりする「業報輪廻」とされる。この輪廻の因果応報といった教えが、現世で徳を積むという社会道徳の基盤ともなってきたようだ。
他者や動物、生きるもの全てに慈しみを持つ。一過性の物質文明よりも、普遍的な精神や自然の豊かさを尊ぶ。仏教が生活に溶け込んでいるブータンの社会で、輪廻転生は広く受け入れられている。
だが、何度も繰り返す転生は不死の喜びを伴わず、苦行とも言える。車輪のように回り続ける輪廻は、どこに行き着くのか。アリになっても生きながらえたいか。救いは解脱だ。解脱によって人は輪廻から解かれ、至福の魂を得る悟りを開けるとされる。
ブータンを束の間訪れた旅人には、解脱はおろか輪廻も遠い世界だ。だが、チベット寺院で僧侶たちが繰り返し唱える六字大明呪の中に身をおくと、実存とは別の違う世界の入り口に誘われた。
1972年に時の国王が唱えたGNHは、ひたすらGNPを追い求める諸国から大きな話題を集めた。それが、いつの間にかブータンが「世界一幸せな国」として広く知られるようになった。
GNHは、社会、経済、環境、文化などの保全と向上、そのための統治によって、よりよい国民生活を築こうという指針だ。「国民一人当たりの幸福を最大化することによって社会全体の幸福を最大化する」ことを目指すブータン政府だが、「GNHは目標であって、現時点でそれを達したわけではない」としている。
18世紀に英国の哲学者ジェレミ・ベンサムが、「最大多数個人の最大幸福」を目指す正しい行為と政策による、国民の幸福の総計が社会の幸福である、と提唱したのと似ている。
決して新しい考えではなかったが、多くのブータン人が幸福宣言をしたことが注目を集めた。だが、2019年に発表されたギャラップ社の世界幸福度調査によると、ブータンは58位の日本よりはるかに低い95位であった。
21世紀までブータンは鎖国に近い情況で、国民は世界を知ることもなかった。しかし外国人を迎え、テレビやインターネットを解禁することで急速に情報が入ってきた。神の教えに背き、知恵のリンゴを食べて楽園を追われたアダムとイブしかり、知識や自由は幸福とは相いれないものなのかもしれない。21世紀になり、天に近い王国の民は、幸福を問うようになったのだろう。
※『Nile’s NILE』2021年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

