一生に一度は善光寺参り
長野県長野市を中心とする長野盆地は、古くから「善光寺平(ぜんこうじだいら)」と呼ばれている。その文化的中心にあるのは、言わずもがな善光寺だ。
創建1400年と伝えられている善光寺は、あらゆる宗派が集まる無宗派の寺。善光寺を訪れた松尾芭蕉による「月影や四門四宗も只一つ」という一句は、そんな善光寺の特徴を月に託したものだ。また、善光寺は古くから女性の参拝も受け入れてきた。老若男女に開かれた、稀有な寺としての側面を持つ。そうした理由からか、古くから「遠くとも一度は詣れ善光寺」と、全国の多くの人たちの信仰と参拝を集めてきた。
善光寺は、先に触れた松尾芭蕉を始めとする文人墨客との縁が深いことでも知られる。小林一茶は「春風や牛に引かれて善光寺」「開帳に逢ふや雀もおや子連」と詠んだ。なお「牛に引かれて」とあるのは、老婆が逃げる牛を追って善光寺に導かれたという有名な昔話に端緒を持つ一句。「開帳」は、7年に1度の「前立本尊御開帳」のこと。本尊の代わりとなる前立本尊が開帳される盛儀で、とりわけ多くの参拝者が訪れる。
堂々たる国宝の本殿、上れば善光寺平を一望できる重要文化財の山門、高村光雲とその弟子米原雲海による仁王像が両脇を固める仁王門など、威容を誇る建築も見どころ。今は信仰の場として、そして長野を代表する観光地として、年間600万人もの人々を集めている。
伝統の七味で攻める
そんな善光寺の表参道沿いには、参拝者が土産を買う店々が、古くから数多くのれんを掲げてきた。七味唐辛子で知られる八幡屋礒五郎はその代表格だ。
同店の始まりは、江戸時代中期の1736年に、善光寺の堂庭で七味唐辛子を売り出したこと。もともとは江戸の街で人気を博していた七味唐辛子を、信州でも集めやすい材料に一部入れ替えることで、独自の味を作った。今に至るまで続くその材料は、唐辛子、山椒、麻種、胡麻、陳皮、紫蘇、生姜。八幡屋礒五郎では昔からの材料と配合を連綿と継承。同店の七味唐辛子は信州の名物として広く知られるようになった。
現在の八幡屋礒五郎では、実にバリエーション豊かな七味唐辛子を販売する。定番の「七味唐からし」の他、「ゆず七味」や「焙煎一味」、エスニックの「七味ガラム・マサラ」、ラーメンとの相性が引き立つ「拉麺七味」など異色の商品もそろう。さらには七味由来の素材を混ぜ込んだマカロンやチョコレート、ジェラートも人気だ。
「ここ15年ほど、社会全体で食へのこだわりが強まったと思いますが、それに合わせ、さまざまな調合を行ってきました」と語るのは、2004年から社長を務める室賀栄助氏。八幡屋礒五郎の9代目だ。
また「10年ほど前から洋のスイーツに取り組み、マカロンやチョコレートを開発しました。スイーツでは、唐辛子、紫蘇、山椒など、七味唐辛子の材料となる素材一つひとつをフレーバーとして使用しています。それぞれの素材の魅力を味わっていただきたいのです」と話す。280年以上の長きにわたり代々受け継がれてきた味を守りつつ、攻めの姿勢で七味唐辛子の可能性を広げ続ける。
栗と北斎の町、小布施
善光寺と同じ長野盆地にあり、善光寺から車を30分ほど北東に走らせたあたりに位置する小布施町。長野県でもっとも小さな町で、半径2㎞の中に全ての集落が入ると言われている。その小さな町に全国から観光客を集めているのが、「小布施栗」と「葛飾北斎」だ。秋になると町は多くの人々でにぎわいを見せる。
小布施の栗は室町時代、現在から約600年前、丹波国から取り寄せて植えたのが始まりと言われている。この地の土壌が栗の栽培に適しており、徐々に上質な栗の産地として知られるようになったのだ。特に、江戸時代にこの地を治めていた松代藩が1820年から毎年秋、将軍家に献上していたことで、小布施栗の名は天下に広まった。
このような栗を用いた栗ようかんや栗かの子などの銘菓は、この地に足を運ぶ観光客の最大の楽しみとなっている。
小布施で江戸末期に創業した桜井甘精堂は200年以上の歴史を持つ、この地随一の老舗栗菓子店。初祖の桜井幾右衛門が1808年に栗落雁を作ったのが小布施の栗菓子の最初と言われており、その約10年後に栗ようかんを作った弟の武右衛門が桜井甘精堂の初代となった。国産の栗、上質な砂糖、寒天だけを用いて作る「純栗ようかん」は武右衛門の時代から引き継がれている、同店伝統の一品である。
竹風堂もまた、小布施で多くのお客を集めている栗菓子の老舗だ。栗ようかんや栗かの子、初代が創製して100余年となる落雁など昔ながらの味を守りながら、12年前に発売した「どら焼山」もヒット商品として定着。老舗としての誇りと技を大切に、よりおいしい栗菓子の開発に情熱をかける。
小布施町のもう一つの財産である葛飾北斎は、晩年の4年間、この地に在住。1842年、江戸での絵の制作が制限された北斎は、83歳にして地元の豪農の招きに応じて小布施町を訪れたと言われている。
木版画のイメージが強い北斎だが、小布施町には数々の肉筆画が残っている。そんな肉筆画を集めた美術館が北斎館だ。北斎の作品は地元の町民により所有されているものも少なくなかったが、その散逸を防ぐ目的もあり、1976年に開館した。これが起爆剤となり、小布施町は人気観光地として知られるようになった。
北斎の作品は、美術館の外にも残っている。特に北斎の画業の集大成とも呼べるのが、岩松院本堂大間の天井絵「八方睨み鳳凰図」。この絵を手がけた時、北斎は88歳。力みなぎるこの作品からは、老いてもなお、精力的に絵を追求し続ける北斎の情熱が感じられる。
※『Nile’s NILE』2020年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

