自然体な美学 ティエリー マルクス

小泉敦子

Photo Masahiro Goda Text Izuzmi Shibata

小泉敦子

その土地ごとの貝で作るティエリー・マルクス氏のスペシャリテ。日本ではホッキ貝を使用。白ワインで蒸し、ショウガをきかせたアサリのジュ、アサリのジュや生クリームで作った泡、ビーツのピクルスと盛り合わせる。鶏のムースを挟み、キャビアをのせたパンを添える。

現代のフランス料理界のトップシェフ、ティエリー・マルクス氏が手がけるレストランが、2016年に銀座四丁目の交差点の一角を占めるビルにオープンした。シェフを任されている小泉敦子氏は、マルクス氏のもとで8年半にわたり働き、スーシェフも長く務めた経験の持ち主だ。

小泉敦子(こいずみ・あつこ)
1978年東京都生まれ。「ミクニマルノウチ」などを経て渡仏。ティエリー・マルクス氏のもと、ボルドー「コルディアン・バージュ」で魚部門シェフ、「マンダリン オリエンタル パリ」でスーシェフを務める。2016年銀座「ティエリー マルクス」のシェフに就任。

日本人以上に日本人らしい“和”を尊ぶシェフ

ティエリー・マルクスさんとの出会いは、私が「ミクニ マルノウチ」で働いている時でした。ティエリーシェフが初めて日本でフェアをしたのが、ミクニ マルノウチだったのです。
大胆にも直接「働かせてください」とお願いしたら、「問題ないよ」と言われたので大喜び。でも後になって知ったのですが、これはシェフの口癖(笑)。3年ほど後に、ようやくビザが下りました。

当時ティエリーさんがシェフを務めていたコルディアン・バージュで2年半、その後シェフがパリのマンダリン オリエンタルに移ってからは、スーシェフの一人として働きました。シェフのクリエーションや仕事に対する姿勢はもちろん、日本人以上に“和”を大事にする懐の深さも尊敬しています。

柑橘にもっとも求めるのは苦みです

9年間のフランス生活を経て、日本に帰ってきたのが、この店のオープンである2016年。基本的に日本の食材を用い、その魅力をフランス料理で表現するのが当店のスタンスですので、帰国後はさまざまな食材探しに取り組みました。

その中で、強く引かれたのが日本の柑橘です。特に「姫レモン」、フランスではシトロンランプールと呼ばれている柑橘には、皮にサンショウの香りがあり、気に入っています。

柑橘に私がもっとも求めているのは“苦み”です。酸味や香りも魅力ですが、苦みがあるからこそ、ただアクセントになるだけでなく、より奥深いニュアンスを料理にもたらしてくれます。皮ごとコンフィチュールにして、特に魚介類の料理によく使っています。

長く愛用している中刀と箸

料理人は刃渡りが20〜30cmの牛刀をよく使いますが、女性の手には少し大きいので、ワンサイズ小さい中刀を愛用しています。

フランスに行く前から使い続けているものなので、研いでずいぶん小さくなりました。その細さも小回りがきいて使いやすい、手になじんだ一本です。

先端が細くなっている箸が厨房で重宝しています。フランス料理ではピンセットが細かい盛り付けによく使われますが、私の場合、ピンセットを長時間使うと手がつってしまう……。

箸ならそのようなことがなく、かつより細かいものもつかみやすく、繊細な作業はお手のもの。フランスでも、フランス人のスタッフから「使い方が知りたい!」と言われ、よく教えていました。

小泉敦子氏が「ティエリー マルクス」で作るのは、マルクス氏のエスプリが芯にあり、かつ日本の食材を用いた料理。ティエリー氏のスペシャリテ2品をメニューに載せることを含め、料理のラインアップと考案は小泉氏に一任されている。

「ティエリーさんは、スタッフを“コラボラトゥール”、つまり“協調する人たち”と呼び、チームとして扱い、縛り付けずに任せてくれます」

マルクス氏の料理の特徴は、多くの仕事が施されていても最終的にはごくシンプルに仕立てる、研ぎ澄まされた引き算の美学だ。それを小泉氏も踏襲する。一皿を構成する素材は多くて三つ。“貝とキャビア”では、ホッキ貝、キャビア、ビーツが主な要素で、ホッキ貝のみずみずしい旨みを最大に生かす。鹿の料理では、上質な鹿の深い旨みを、ザクロ、カボチャで引き立てる。「どんなに日本の食材を使っても、フランス料理に仕立てる覚悟がある」と語る小泉氏。と同時に、「そもそも自分自身が、昔からフランス料理が好きですし」と屈託なく笑う。

「適切に処理した鹿肉はクセがない」と小泉氏。そのロースのローストと、バラ肉のバロティーヌを盛り合わせた。ロースには、煮詰めたザクロ果汁入りの仔羊のジュを。バロティーヌには赤ワインをきかせた血入りのソースを添える。カボチャのピュレとともに。

生まれも育ちも門前仲町の小泉氏にとって、銀座は小さい頃からお出かけで慣れ親しんだ街だ。そして誕生日などの記念日に、フランス料理好きの父親に食事に連れてきてもらった思い出の土地でもある。「なので、初めてこの店のシェフを打診された時は、緊張よりも『銀座でフランス料理ができる!』という喜びが先に立ちました」という。ちなみに、「実は日本でシェフになるまで、自分が女性であることを意識したことがないんです」と話す。「特にフランスは女性の料理人はめずらしくなかったので、帰国してから『女性シェフは大変でしょう』と言われ、正直戸惑いました」とも。「でも今では、ガストロノミーの分野を目指す、若い女性料理人を励ます存在になれれば……という自覚はあります」

情熱を心に秘めながら、あくまでも自然体な小泉氏。マルクス氏の“コラボラトゥール”であり続けてきた経験が、料理人としての静かな自信と優しさの背景にあるに違いない。

● ティエリー マルクス (2026.06現在は閉店)
東京都中央区銀座5-8-1 GINZA PLACE 7F
営業時間 18:00~20:00(L.O.) ※土曜・日曜・祝日のみランチ営業 11:30~13:30(L.O.)
不定休

※『Nile’s NILE』2020年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
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ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
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