おおむねハレのときは外食になり、ケは家で食べることになる。それを細分化すれば、ハレの外食も、快晴、薄曇り、曇天と差異がある。統計をとったわけではないので、あくまで個人的な感想だが、最も多いのは薄曇りではないだろうか。
ハレと言い切るほどの贅沢はしないが、慎ましやか、とは違う。流行りの言葉で言えばプチ贅沢。高額寿司や予約困難割烹は論外だが、ファミレスチェーンでは、いかにも寂しい。こんなときの店を何軒か行きつけにするのがいい。
つまり、行きつけの店というのは、最も利用頻度が高いので、好みに合う店をジャンル別に見つけておくと、食人生が豊かになるのだ。長く外食を続けてきて行き着いた法則と言ってもいいのだが、今の人たちの外食状況を眺めていると、これとは逆行しているように見えてしまう。ぼくが子どものころに流行った切手集めのように、あるいはトレーディングカード収集のように、人気の店を数多く知ることに力を注ぎ、身近な店を行きつけにしようとしないのである。なんとももったいないことだと思う。
ニューオープンの店があれば、いち早く駆けつけ、人気を呼んでいる店があれば、日にちを選ぶことなく予約する。かつてはぼくもそうだった。それは食に関わる物書きだったからでもあるが、数多くの外食経験によって、味覚が成長するだろうと思いこんでいたからでもある。多くの店に足を運び、たくさんの食を知れば、様々を味わい分けることができ、鋭敏な味覚を持てるだろうと思ったのだ。古希をとうに越えて振り返ってみると、多くの店体験=味覚の発達、とはならないことを改めて知った。
もちろん人によって違いはあるだろうが、ぼくの場合、こうした外食のほとんどは、記憶から消え去っている。店の有り様は覚えていても、どんな味わいだったかは、まったくと言っていいほど、舌が覚えていないのである。それは読書や映画鑑賞にも通じるものがあって、心に残っているものは、自ら望んだものばかりで、ベストセラーだから、とか噂になっているから、といった動機ではなかった。
行きつけの店というのは、こうして愛読書となった本とよく似ている。おなじ本であっても、繰り返し読むうち、また新たな発見があったり、あらためて感服したりする。そしてなにより心地いいのだ。音楽も然りだが、好みに合うモノは心を癒やしてくれる。
音楽にせよ、映画にせよ、食にせよ、出会いがなければならないわけで、出会ったときに、心に響くか否か、が分かれ目になる。言ってみれば、それは人もおなじだ。好きになるかどうか、は心が決めることであって、頭で決めるものではない。
前置きが少しばかり長くなったが、とある雑誌に「行きつけの店の作り方」というテーマでインタビューを受けたことから、考察してみたわけである。欲しいのに、なかなか行きつけの店ができない、という方が多いのだそうだ。なぜ行きつけの店を作れないか。答えは簡単だ。予備知識を持ち過ぎるからである。人との出会いには求めないのに、店についてはあらかじめ情報をたくさん集めようとする傾向があり、それが障害になって、行きつけの店にならないのだ。
シェフがどんな経歴で、どういう経緯をたどって、その店で料理を作っているのか、などということは知らなくていいと思っている。もっと言えば名前すら知らなくても差し支えない。現にぼくが行きつけにして、月に一度は足を運んでいる店の、主人の名前を知らないこともある。当然のことながら経歴も知らない。それで何か困ることがあるかと言えば、皆無と言ってもいい。
実は話は逆なのである。客の側が料理人である主人や女将のことを知るのではなく、いかにして料理人に客のことを知ってもらうかが肝要なのだ。どんな料理、味付けを好むかはもちろんのこと、持病のあるなし、酒量や食べる量などを、主人や女将、スタッフにも周知してもらって、はじめて行きつけの店と言えるのである。そうして心を通い合わせるうち、自然と主人や女将のことが分かってくる、という自然な流れによって、行きつけの店の価値が生まれるのだ。
たとえば鮨。回転寿司しか経験のないような初心者や外国人客でも愉しめるように、おまかせコース一本にしぼり、派手なステージを繰り広げる。客が撮影しやすいように、わざとゆっくり握り、客の目の前に突き出すように手渡しする。いわゆるエンターテインメント型の鮨屋が、海外の富裕層の人気を集めると、それをまねる店が増えてきた。こうしたパフォーマンス重視の店は押しなべて、客単価が高いからである。こうなると、地味な日本人客を相手にせず、海外の富裕層向けに店造りをした方が効率もいい。ビジネスライクに考えれば、至極真っ当である。
しかしながら、リスクヘッジもまたビジネスとしては重要な要素なのだが、それを無視して、海外の富裕層だけに目を向けてしまった店も少なくない。なぜなら、日本のにわか食通たちが追随し始めたからだ。海外の富裕層に人気の、地方の店はここだ、と紹介する本が売れるという、いわば逆輸入のような現象が起こってきた。インバウンド客層の変化で、もっとも大きな影響を受けたのは、こういう店である。店主いわく、海外からの客がいて、オーバーアクションで喝采するから盛り上っていたのだが、日本人客ばかりだとテンションが上がらないのだという。
「その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた食を楽しみ、食文化に触れることを目的としたツーリズムのこと」
観光庁はガストロノミツーリズムという言葉をこう定義している。イノベーティブやパフォーマンスは、どう考えてもこの定義には当てはまらないと思うのだが、美食家と呼ばれる人たちを筆頭に、メディアは富裕層向けの店をガストロノミツ―リズムの手本として「推し」てきた。
厄介な隣国相手のことなので、これから先どうなるかは分からないが、この流れは当分続くだろうと思う。富裕層バブルが弾けてから先が、ガストロノミツーリズムの本領を発揮すべきときになると確信している。いぶし銀のような地方の名店に、スポットが当たる時代到来を、期待してやまない。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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※『Nile’s NILE』2026年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

