生口島といえば、生産量日本一を誇るレモンの島であり、冬から春先にかけて温州みかんやネーブル、せとか、ハッサクなどさまざまな柑橘類が取れることでも知られる。日本画家の平山郁夫の生地でもあり、穏やかな海と青い空、柑橘畑が織りなす風光明媚な環境が、画家の感性を育てたのではないかと考えられる。かつては製塩業が盛んで、その塩を北前船に乗せ、大坂や北海道に届けることによって莫大な財を得た浜旦那たちが島の経済を担っていた。
港は潮待ちをする船乗りや商人を迎える宿屋、料理屋でにぎわったといい、その名残が、今も島の中心である「しおまち商店街」だ。柑橘類をカゴに山盛りにした果物店をのぞくと、笑顔の店主に「いらっしゃい、食べてみる?」と声をかけられた。昔から港町として栄え、多くの人が訪れ、去っていった歴史を持つ生口島には、今も旅人を気軽に受け入れる風土がある。
生口島には、かつて海上で生活した海の民の末裔も根付いているという。海の民は、いまだ国の形も鮮明ではなかった時代、日本や東南アジア、中国など各地に存在し、船で生活しながら、他の海の民や陸の人々と交易して生きていた。それが時を経て、陸の人々と結婚したり、働き手として誘われたりと、さまざまな理由によって陸にあがり、新しい暮らしを始めていった。生口島にもそうした海の民がいて、そのために、多様な文化が融合した独自の風俗が生み出された。
島では海や土地、水、森などに宿るさまざまな「カミ」が信仰されてきた。柑橘畑の隅には土地のカミを祀る石仏があり、古い共同井戸のかたわらには水のカミの石塔がある。特に、海のカミは特別であり、島の生口神社の祇園祭では神輿と神輿もりが海に入るのが恒例だった。神輿を海水につけると傷むことは避けられないが、それでも一度はつけないと気が済まない雰囲気があったという。海岸には、今もきれいに手入れされたお地蔵さんの姿がある。まっすぐに海に向けられたお地蔵さんの表情から、島の人々はこうして海を見つめてきたのではないかと思いを馳せた。
ラグジュアリーリゾート「アマン」の創業者、エイドリアン・ゼッカ氏も島に魅了された一人。「しおまち商店街」の入り口に立つ宿「Azumi Setoda」は、ゼッカ氏と日本のナル・デベロップメンツによる旅館ブランド「Azumi」の1号店であり、名称にはかつて九州から日本各地に進出した海の民の「安曇族」とゼッカ氏のイニシャルがかけられている。島の浜旦那を代表する一家、堀内家から譲り受けた築140年の屋敷を改装し、2021年にオープンした「Azumi Setoda」は、国内外の旅人を呼び込む、生口島の新たな風となっている。ゼッカ氏がこの地を選んだ理由について、女将の窪田淑さんはこう話す。
「ゼッカさんと一緒に車でこの島を案内してもらったとき、トンネルを抜けたら、海沿いの斜面の畑に鮮やかな柑橘類がたくさん実る、すばらしい景色が広がっていて、とても感動したんです。この堀内家の邸宅に出会えたのも大きかったですね。昔は浜子さんをたくさん抱えていたお屋敷が、堀内家の方々が島を出られた後も丁寧に管理されていて、非常に良い状態で残されていました」。
館内を歩くと、旧個人宅でありながら敷地が広大なことに驚く。街からは中が見えない造りで、桜が凛とした姿で咲く中庭はとても静かだ。木造の軒や障子から島の明るい光が差し込み、美しい陰影が心まで和らげてくれる。
「広島市に住む堀内家の皆さんにご挨拶に行ったとき、私たちは、堀内家に伝わる何千点もの器や小物類を譲り受けました。どれも大切に保存されていたので、お客様のお料理などに使っています。堀内家では、常に多くのお客様をもてなしていたようです。その歴史も、『友人をもてなすようにお客様をもてなす』というゼッカ氏のコンセプトに調和しています」。
「Azumi Setoda」の向かいには、街に開かれた銭湯宿「yubune」も新設されている。宿泊客が銭湯で出会った住民に「どこから来たの?」と声をかけられ、話が弾むこともあるという。
「近年、この島では、島の将来のために何ができるのか、活発に議論が交わされています。その可能性の一つとして、島民の皆さんが私たちの存在も歓迎してくださっていることに、大きな意義と喜びを感じています。生口島では、ときどき店先に石臼があるのを見かけますが、これは年の暮れにみんなで餅をついて振る舞う文化があったためだそうです。そういった、この島ならではの風習も、皆さんと協力して蘇らせることができれば、と思っています」
宿にいても、ときどき風にのってふわりとレモンの花の甘やかな香りが漂う。春の瀬戸内の今と昔を味わいに、ぜひ訪れてみてほしい。
●Azumi Setoda
広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田269
TEL0845-23-7911 azumi.co/ja/setoda/
※『Nile’sNILE』2026年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

