Parliament of Canada
イギリス連邦加盟国の一つであり、10の自治州と3准州からなるカナダ。国名は諸説あるが、先住民イロコイ人の言語にある、集落を意味する「kanata」が語源であるといわれている。
総面積は998・5㎢で、ロシアに次ぐ世界第2位、日本の約27倍の広さを持つ。とはいえ、その北部は北極圏や針葉樹林帯の厳しい気候条件下にあり、主要な街はアメリカと国境を接した南部に集約している。日本の約4分の1に当たる総人口約3515万人のうち、100万人弱を有するのが、中東部のオンタリオ州南東端に位置する首都、オタワだ。
夏には衛兵交代式が行われる石造りの国会議事堂を始め、オタワ川に面し、政府主要機関の建物が集まる「パーラメント・ヒル」を中心として整然と広がる街は、全体が庭園のようで、世界で最も美しい首都の一つと評される。世界遺産、リドー運河の起点の街としても有名だ。
リベラルでフランクな空気が流れるカナダの中で、比較的緊張感のあるパリッとした雰囲気は首都ならではだが、オタワ川を挟んだ向こうは、フランス語圏のケベック州である。カナダでは、多くの街でアルコール類は決められた店でしか販売されていないが、ケベック州ではコンビニエンスストアでもどこでもワインやビールを購入することができるなど、同じ国でありながら言葉だけでなく法律にも文化にも違いがある。このケベック州と隣接したオタワに首都が置かれていることこそが、カナダの歴史を象徴しているといえるだろう。
先住民史では「時の始まり」からこの地に住むと伝えられる、イヌイットやファースト・ネーションズと呼ばれる先住民の居住地であったカナダが、初めてヨーロッパ人に「発見」されたのは、コロンブスのアメリカ大陸到達から5年後の1497年のこと。イギリス国王ヘンリー7世が、イタリア人航海者のジョン・カボットにカナダ東海岸を探検させたのを皮切りに、スペイン人やポルトガル人が北アメリカ沿岸を探検している。だが、年中氷に閉ざされるカナダの厳しい気候に恐れをなしたのか(あるいは手を出すほどの価値を見いださなかったのか)、植民地が建設されたのは1605年が最初で、フランス人がカナダ東部のノバスコシア付近に入植を試み、のちにケベックに移動した。一方、イギリス人は1621年からノバスコシアに本格的な植民地を建設し、ニューファンドランド、ニューブランズウィック、プリンスエドワード島などに次々と植民地を広げていく。こうしてしばらくは両国の植民地が共存していたが、ヨーロッパでイギリスとフランスの対立が深まると、カナダでも両国による領土争いが激化する。結果、勝者となったのはイギリスであり、1763年のパリ条約によってフランスの全カナダ植民地はイギリスに割譲されることとなった。
同じイギリス領となったのちも、イギリス系住民が住む現オンタリオ州のアッパー・カナダ、フランス系住民が住む現ケベック州のローワー・カナダは、しばしば対立する関係にあった。1841年には、アメリカからの脅威に備えるために、アッパー・カナダとローワー・カナダを一つにした連合カナダが成立。だが、その中でも主流派をなしたイギリス系住民にフランス系住民が反発し、数年おきに首都が両州の間で行き来する状態だった。
Canadian Museum of History
そうした中、1857年にイギリスのビクトリア女王が、連合カナダの首都をオンタリオ州のオタワに制定。イギリス、フランス勢力の中間地点に位置するオタワが、双方の架け橋となることが期待されたのだ。それまでのオタワは、リドー運河を利用して材木を運ぶ、ランバージャックと呼ばれる木材作業員が集まる田舎町に過ぎず、「ビクトリア女王の気まぐれ」などと批判されたというが、現在のオタワの美と繁栄を見れば、英断だったといえるだろう。カナダ国内では気候のいい南部にありながら、アメリカとの国境から離れた位置にあることも、連合カナダにとっては理想的であった。
カナダの結束をより強くしたのは、1861年に始まったアメリカ南北戦争である。混乱の中でアメリカに吸収される恐れを感じたカナダは、1867年、自治領として統合した。カナダ建国の瞬間である。
一国の首都となったオタワは、対岸のケベック州ガティノーとともに首都圏として計画的に整備されてきた。現在では、製材、製紙、出版業を始め、エレクトロニクス、宇宙科学などの産業が盛ん。国会議事堂の中央に立つ、第1次世界大戦の戦没者を慰霊するピースタワーを象徴とした平和の街だ。第2次世界大戦中にはオランダ王家が避難したこともあり、お礼として毎年春には、同王家から贈られたチューリップが街を彩るチューリップ祭が行われる。
市内に134の公園緑地を持つ、水と緑の街としても知られるオタワは、散策するだけでも心地よい街だ。
National Gallery of Canada
カナダを代表する建築も多く、全面ガラス張りの建物が目を引くカナダ国立美術館には、芸術家集団グループ・オブ・セブンの作品が収蔵されている。植民地時代の英仏の戦いから現代に至るまで、カナダ史上の戦争にまつわる兵器や写真が展示されるカナダ戦争博物館は、日系人建築家のレイモンド・モリヤマ氏がデザインしたもの。国会議事堂の対岸にあるカナダ歴史博物館の設計を手がけたのは、カナダ先住民の血を引く建築家、ダグラス・カーディナルだ。人の顔をモチーフにした正面玄関の周りに、氷河が溶けて流れる川をイメージした曲線が連続する外観は、カナダの人と自然の関わりを表現している。三角形の建物に軍用機が数多く展示されたカナダ航空宇宙博物館では、複葉機でオタワの空中散歩が楽しめる体験飛行も用意されている。上空から眺めると、オタワ川やリドー運河に沿って豊かな緑が広がり、中央部に近代的なビルが林立する、風光明媚な都市であることが改めて感じられる。
Canada Aviation & Space Museum
2007年にユネスコ世界遺産に指定されたリドー運河。首都オタワから、オンタリオ湖畔の古都キングストンまで、湖や川を経由して続く、全長202㎞の運河だ。冬には世界最長の屋外スケートリンクとなり、スケート靴に制服姿で通学する学生がいるなど、現在でもオタワの景観と交通に欠かせない存在である。
夏の間、運河沿いの遊歩道を散策すると、数々の船に交ざってアメリカの国旗を掲げたクルーザーが通ることがある。ここオタワでは、アメリカと国境を接した五大湖から、リドー運河を通って訪れる観光客も珍しくない。一帯はリドー歴史街道と呼ばれ、運河沿いに歴史風情漂う街や伝統的な東オンタリオの小さな村々が点在している。自前のクルーザーの他、ハウスボートと呼ばれるキッチンやベッド付きのボートをレンタルし、こうした街や村で船を下り、現地の文化や食事を楽しみながら、気ままに楽しむ運河クルーズが地元の人々や観光客に人気だ。
Canadian War Museum
リドー運河は、1832年に完成された、現在でも稼働を続ける北米最古の運河。アメリカの脅威に備え、軍事目的で造られたもので、当時、物流のメインとして使われていたアメリカとの国境を流れるセントローレンス川の代わりに、キングストンとモントリオールを結ぶ安全な水路とするべく建設された。指揮を執ったのは英国軍の技術者でもあったジョン・バイ大佐で、未開の原野に膨大な数の労働者を動員し、自然の川や湖を最大限に活用しつつ、6年間という短期間で造られたが、完成後も軍事目的で使われることはなかった。その代わりに、カナダ移民の受け入れ行路や商業幹線として、20世紀に入るまで重宝されていたという。現在も歴史的水路として、パークスカナダ(カナダ国立公園管理局)に管理されている。
Ottawa Convention Center
Rideau Canal
リドー運河といえば、特徴的なのがロックと呼ばれる水門のシステムだ。キングストンから50m上昇し、オタワに向けて83m下降する、丘陵地を越えて造られたリドー運河では、合計49カ所の水門によって細かく水位が調節されている。ボートが運航できる夏、それぞれのロックステーションには専任のロックマスターが常駐し、ボートが来るたびに大きな歯車のついた手動式閘門を操作して、水門を開け閉めする作業を繰り返す。
リドー運河の魅力は、現代でも稼働しているというだけでなく、こうした昔ながらの手法をその光景とともに残していることにある。ただ新しいものを作るのではなく、古いものを残し、活用することで別の価値を生み出すエコ精神は、人と自然に優しいカナダのお国柄といえるだろう。
自然の中で、のんびりと運河クルーズを楽しむというのも、年代を問わずアウトドア好きなカナディアンらしい。実際に、クルーズ中の年配夫婦もよく見かける。日ごろ、海でクルーズをする人にとっても、カナダの歴史や文化を感じながらの運河の旅は、また新しい楽しみになるのではなかろうか。
都市を流れる水路を抜け、森の中の湖に出る。広やかに抜けた群青の空に赤みが差し、運河に静謐な夜が訪れた。人里離れた水上にいると特に、移民国であったカナダがようやく一つになり、ともにアメリカからの侵略を恐れた、リドー運河が造られた当時にタイムスリップしたような錯覚に陥る。
リドー運河クルーズでは、刻々と移り変わる水辺の風景を楽しむとともに、運河沿いの村や施設に立ち寄れるのが魅力。名所の一つはカナダの国定史跡であり、世界遺産の一部でもあるキングストンのフォートヘンリー。1873年にアメリカからの攻撃に備えて築かれた砦で、夏には兵士による発砲練習などが再現される。スミスフォールズのリドー運河ビジターセンターでは、運河建設に携わったバイ大佐の足跡をたどる展示がある。リドー運河が造られたことで街として機能し始めたオタワはかつて、バイ大佐の功績をたたえてバイタウンと呼ばれた。オタワにはバイタウン博物館もあり、リドー運河ツアーを実施している。
歴史ある町並みのリゾートタウン・パース、水車のある製造所や跳ね橋が特徴的な石造りの町・ウェストポートなども見ごたえがある。古くから続くメイプルシロップ農家や、海外からの評価も高いワイナリーを訪れて、テイスティングしてみるのも興味深い。その他、運河沿いには、ガーデニングの花に彩られた田舎の家々や、風情ある店構えの飲食店が並ぶノスタルジックな村が点在しているので、旅に疲れたらドックに船を停め、ふらりと下りてみるといい。名前も知らない小さな村にも、カナダの建国の歴史が受け継がれている。店の人々は穏やかで話しやすく、観光客でも居心地がいい。都市部から訪れているらしいカナダ人客の中には、村にルーツを持つ人もいるのだろう。街でも感じることだが、カナダの人が日本人にも隔てなく親切で、高圧的な感じがしないのは、植民地としてスタートし、移民の国として大国の脅威にさらされてきた、カナダの歴史によるところがあるかもしれない。
常に海外諸国の政治的な利害に翻弄されながらも、カナダ人の心を豊かにしてきたのが、人間の力をはるかに凌駕する強さと美しさを持った自然だ。自然は豊富な鉱物資源として、物理的にもカナダ人を支えてきた。そんな、母なる大地の前では、繰り返される戦争は、いかにも愚かに映ったに違いない。
Lock Master
多くの日本人にとって、カナダはアメリカの隣国というだけで、その歴史までは到底意識が及ばない、認識の薄い国かもしれない。首都オタワも、名前くらいしか知らないという人もいるだろう。だが、いったんその懐に入り、たどってきた道を知ると、異邦人でありながら、どこか共感や郷愁を覚えざるを得ない。
Canal Crusing
それは偉大な自然を前にしての謙虚さゆえか、水に囲まれた土地ゆえか。河の上に揺られながら思いをめぐらせるのもまた、旅の記憶となるのである。
※『Nile’s NILE』2017年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

