料理も、人の心も掌握する巨人 Ryuzu

飯塚 隆太

Photo Masahiro Goda Text Izuzmi Shibata

飯塚 隆太

飯塚隆太(いいづか・りゅうた)
1968年新潟県生まれ。20代の前半に有名コンクールで優勝するなど、気鋭の若手として「タイユバン・ロブション」の立ち上げに参加。料理人引退前のロブションとともに働いた、貴重な経験を持つ。その後「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフを5年間務め、ロブションの新コンセプトを東京に定着させた。2011年に「Ryuzu(リューズ)」を六本木に独立開業。ロブションの哲学を受け継ぎつつ、独自の表現で着地させる料理で高い評価と人気を博している。

1994年、世間の大きな注目を集めて恵比寿ガーデンプレイス内にオープンしたシャトーレストラン「タイユバン・ロブション」。その立ち上げの際に肉部門のアシスタントシェフとして働いたのが、ロブションの店における飯塚隆太氏のキャリアの始まりだ。以降、フランス修業をはさんで再び東京のロブションのもとに。「カフェ フランセ」のスーシェフなどを経て「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフを5年にわたり務めた。

ロブションは1996年に現役を引退し、その後はレストランのプロデュースに仕事の主軸を移したため、飯塚氏は2年間、現役時代のロブションのもとで働いたことになる。

「ラトリエ」のシェフを務めていた時期に考案した「八色(やいろ)椎茸をタルト仕立てにコロンナータ産ラルドの薄いベールで覆って」。現在も「リューズ」で人気を博しているスペシャリテだ。飯塚氏の故郷でもある新潟県、八色産の肉厚の椎茸を使用。スライスの下にはじっくりと炒めたみじん切りをたっぷりと盛り、椎茸の旨みを存分に表現する。

「その時の印象が強いので、僕にとってのロブションさんはあくまでも料理人。グランシェフです。僕は、一度、パリのロンシャン通りにあった『ジャマン』に食事に行ったことがあります。もちろん、日本にロブションさんの店ができるなんてことを、まったく知らない時期に、です」

その時、印象に残っているのが、ロブションのスペシャリテの一つであるトマトと蟹のミルフィーユ仕立てだった。

「お金のない貧乏旅行だったので、その料理は食べていないのですが、隣のテーブルにサーブされたお皿の中には、綺麗なトマトのミルフィーユと真っ赤なクーリに緑のソースを点々と描いた有名なプレゼンテーションを見て『こんなこと、レストランでできるんだ! 本で見たまんまだ!』と、とにかく驚いて」

そこに、ロブションが作り出している繊細の極致、完璧への追求を見た飯塚氏。「後に、まさか自分がその料理をやることになるなんて」と笑う。

「実際に冷製料理を担当した時は、『パリで見たあの時よりも絶対に美しく作る。誰よりも早く、きれいに描く!』と意気込んでいました」

どこよりも、働くことにプライドが持てる職場だった。

「毎朝出勤する時、恵比寿のシャトーを見るのが誇らしかったですね。もちろん厨房の中は訳がわからないくらい忙しくて、今振り返っても『ありえない!』と思うほどものすごく大変でした(笑)」

ゲストと交わるグランシェフ

現役を引退する前からロブションのもとで働いていたスタッフたちは、ロブションの印象を「引退の前と後で、まさに180度変わった」と話す。「特にお客さまへの接し方、関係性が変わりました」と、飯塚氏。

「引退前は、とにかく自分は料理と厨房に対してとことんストイックで、お客さまへの対応は表のサービススタッフに任せる、という姿勢です」

一方、2003年にオープンした「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」はカウンター越しにお客と直接コミュニケーションするスタイル。

「まさか、シェフがカウンターの中で笑顔でお客さまをお迎えするのか?!」と、スタッフ誰もが衝撃を受けていたという。

「でも、実際にラトリエでは、ロブションさんは『あのお客さまはおいしいと言っているか?』『楽しんでいるか?』ということを、いつもスタッフに確認していましたね。時には、自身から話しかけることもありました」

心底、“お客さまがどう感じているか”を最優先していたことを飯塚氏はひしひしと感じたという。

テクスチャーを自在に操る和の包丁技に感銘を受けて考案した「あおり烏賊のプランチャ焼き チョリソソース ピマンデスペレットのアクセント」。飯塚氏が「カフェ フランセ」勤務だった時に開催された、「青柳」とロブションのコラボで出合った技を生かす。蛇腹に切った烏賊をプランチャでさっと焼き、スペイン由来の素材とともに仕立てる。

飯塚氏はまた、「個人的な話になりますが、僕自身のキャリアと、ロブションさんの変化はちょうど重なっているんです」と話す。

「僕の20代は『タイユバン・ロブション』でひたすら料理に身を捧げ、技術を磨いた時期。一方30代では『ラトリエ』でシェフに就き、より広い視野でレストランと向き合うことを鍛えられた時期だった」という。

シェフに就くと、営業成績、原価の調整、スタッフのことも責任範囲。もちろん、“ロブションブランド”として料理のクオリティーも必須である。その点に関しては、特にロブションからの要求が強い。

「要は板挟みになるのです」と今は笑うが、一時は「続けられない」「辞めよう」と思い悩むほど落ち込んだ時もあったという。そんな時、ロブションと対面で話す機会があった。

「彼に言われたのは、『思いきって、自分のやりたいようにやればいいじゃないか! お前はロブションのシェフだ。グループにはいっぱいシェフがいるが、俺はお前を本当に腕のいい、経営もできる、頼もしいシェフだと思っているよ』と。その時は、まあ、うれしくて泣きましたね」

長く悩んだつらい気持ちを一蹴してくれたロブションの言葉。

「本心かどうかわかりませんよ(笑)。でも、計算して言っているとしても、人のモチベーションをあんなに鮮やかに上げてくれるのですから、いずれにしてもすごい人です」

シンプルさが神髄だった

心に残っているロブションの言葉は? と問うと、「ラトリエでシェフだった時、料理に関して『シンプルに!』と常に言っていたのが心に残っています」。ロブションの料理は、装飾の華やかさ、繊細さ、厳格さで語られることが多いが、「料理自体はとてもシンプルでピュア。本質的な意味でのシンプルを推し進めていました」

ロブションがフランスで1986年に刊行した料理本『Ma cuisine pour vous』は、彼が若くして三つ星を獲得して数年後に作られたという一冊。飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていた時期の料理が網羅されている。

「ここに載っている料理とルセットを見ればわかると思いますが、彼の料理はとてもシンプルなのです」

そして、以降も含めたロブションの料理の完成形が見て取れるという。

「もちろん料理は年々進化していたはずですが、骨格や哲学はすでに完成している。それだけ、ロブションさんの料理には普遍性があるのです。今見ても、まったく古びていません」

「シンプルに!」という教えは、料理人としての飯塚氏の神髄まで染み込んでいる。

「料理を作り続ける限り、グランシェフ・ロブションのことは常に意識しているはず。それだけ、僕に衝撃を与え続けてくれた人です」

● Ryuzu(リューズ)
東京都港区六本木4-2-35 アーバンスタイル六本木B1
03-5770-4236

※『Nile’s NILE』2018年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
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