1976年愛知県生まれ。1998年にパリのロブションのラボへ。2003年の六本木ヒルズ開業にあたり「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフに26歳の若さで就任した。その後はグループの拡大とともに世界で活躍。ニューヨーク、台北、パリのラトリエのシェフを務め、ブランドの確立に貢献する。2014年に退社し、翌年東京・神谷町で「SUGALABO(スガラボ)」を設立。レストランの他、コンサルティングや地方の食の発信など幅広い活動を行う。
21歳でロブションと出会った須賀洋介氏。以来17年弱、側近の一人として活躍。世界に拡大するロブションのグループにおいて、重要な戦力として任務を果たしてきた。
須賀氏にとって、ロブションは「父親のような存在」という。「生きていく上での術を教えるのが父親だとしたら、ボスは僕にとっての父親です」と話す。
「料理の師ということではなく、料理人として生きていくための方法を、教えてくれました」
世界にロブション哲学を
須賀氏がロブションのもとで働き始めたのは、ロブションが料理人を一度引退してから数年後、ラボを構えてコンサルティングやテレビの料理番組に取り組んでいる時だった。
ラボでの仕事の他、ロブションが監修する東京やマカオにあるレストランへの定期的な出張、現地でのガラディナーに同行した。そんな時に、「料理人ロブション」としての側面と厳しさを体験する。と同時に、須賀氏はただ受け身で指示に従うのではなく、より効率を上げ、よりクオリティー高く料理を仕上げる方法を柔軟に考案、実行していた。
「そんな生意気なところが目に留まったのでしょうか(笑)」と、ロブションのもとで働き始めて5年経ったタイミングで、2003年に開業した東京・六本木ヒルズの「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」にて、26歳の若さにしてシェフに抜擢される。この店は、ロブションが新コンセプトで臨んだレストランである。
「カウンターで、調理場が見えて、お客さまとコミュニケーションをとる、いわゆるコンビビアリテというコンセプトは定まっていたのですが、それ以上の詰めはオープンの数日前に一気に進めたというタイトなスケジュール。オープン当日は……正直、カオスでしたね」と苦笑。
また開業からほどなくして、当初設定したカジュアルでシンプルな料理では、顧客が“ロブション”のブランドに求める高級なイメージとずれていることに気付き、独自にコースを設定した。
「頭の隅で『勝手にやって大丈夫かな』と思いつつ、腹をくくって」と話すが、結局このスタイルは認められ、1カ月後にオープンしたパリのラトリエでも採用される。
数々のタフな局面を独自の判断で切り抜け、ロブションに強い印象を残していった須賀氏。
その後2006年のニューヨーク、2009年の台北それぞれのラトリエの立ち上げをシェフとして率いることに。2010年にはシャンゼリゼにオープンした、パリ2店目にしてフラッグシップとなるラトリエの総料理長に就任するほど、厚い信頼を得るようになった。翌年には無事、同店でミシュランの二つ星も獲得。
「30歳を迎えたニューヨークの頃から独立への思いがありましたが、パリでの星獲得で、自分としては『やりきった』という区切りになりました」
折に触れて独立への思いはロブションに伝えていたが、これを機会にあらためて強く話をしたところ「専属の外部コンサルタントとして契約しないか」という提案があった。一定の自由を保障されながら、パリのラトリエのシェフをしつつ、独立した会社としてコンサルタント業務を担当する。
「自分の中で3年を区切りにして受けることにしました」
その間、毎月のように世界各国のロブションの店を回って指導にあたったり、各店舗の課題を分析してレポートにまとめるなどの仕事に没頭した。
「毎月旅をするような生活と、“責任を果たせば自由”という感覚が楽しかったですね」
なおこの時期を境に「従業員」から「仕事上のパートナー」となった須賀氏は、ロブションから対等な相手として尊重されるようになったという。
「ロブションさんは夏のバカンスはスペインの別荘で家族とともに過ごすのですが、そこにも毎年行くようになりました。普段も、僕が飼っている犬のことを気にかけてくれたり(笑)。プライベートでの交流が深まった時期です」
当初の決断の通り、3年でシェフ兼専属コンサルタントの立場を辞した須賀氏は、2014年に帰国する。
「辞める話をしようと臨んだ席で、実はもう一つ新しいプロジェクトを持ちかけていただいたのですが、やはり僕も自分の人生を生きたい。『あなたが私の年齢の時、あなたは自分の店で三つ星を取っていた』と話したら納得していただけた。それで、無事に円満退社できました(笑)」
今から孝行を、という時に
須賀氏がロブションから完全に独立し、東京に「スガラボ」をオープンしたのが帰国の翌年、2015年のこと。
「辞めてからも何回かは夏の休みにスペインの別荘に行っていたし、ロブションさんが来日する時は、1日は食事のアテンドをしていました。焼き鳥や焼き肉など、『今、ボスはこんなものが食べたいだろうな』というシンプルな料理のお店にお連れしていました……。ただ徐々にこちらも自分の仕事が忙しくなり、予定が合わなくなった中での訃報でした」
そこがいちばん気になっているのだという。
「どちらかというと、ここ数年は僕から親離れしていった感じ」と、須賀氏。そして「親孝行したい時に、親がいない」とも話した。
「独立して僕も3年を迎えようとしています。独立しても安定しているわけではないこの業界で、ようやく軌道にのってきたところ。『自立した今の立場で、ボスと何かできるかな』と思っていた矢先なので、残念です」
ロブションの人となりについて、「愛と厳しさの共存した、類いまれな存在でした。そして、本当に頭がよい人」と話す。「広い世界を見せていただけました。働いている時は必死でしたが、感謝の気持ちでいっぱいです。振り返ってみると、ずっと彼の手のひらで踊らされてきたのかな、とも思いますけどね」と笑う。
「それだけ大きな人を失った。彼の弟子と名乗るのであれば、天国から見ているボスに怒られないような、恥ずかしくない仕事をしなければ、と思います。彼のもとで働いた人間は、皆そう感じているはずです」
● SUGALABO(スガラボ)
※『Nile’s NILE』2018年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

